地理とSDGs<2>(全4回)

 

「地理的な見方・考え方」とSDGs

 

広島大学大学院教授 淺野 敏久

 

新型コロナウイルスの感染拡大にみる「地理的な見方・考え方」

 

 新学習指導要領ではこれまでと同様に「社会的事象の地理的な見方・考え方」が強調されている。「地理的な見方・考え方」とは何かについて議論のあるところだが,昨年からの新型コロナウイルスの感染拡大に社会が翻弄される中で,「地理的な見方・考え方」とはこういうことなのかなと理解するとともに,改めてその大事さを思い知ることになった。

 

 「地理的な見方・考え方」とは何だろうと,教科書作成に関わった当初は疑問に思っていた。研究者にとっても,大学で学生指導にあたる者としても,「地理的な見方・考え方」や「地理学的であること」は明確に説明できない概念である。ただ,学習指導要領から離れた「地理的な見方・考え方」を論じても論点がぶれてしまうので,ここでは学習指導要領の表現に即して考えることにする。学習指導要領では,社会的事象を「地理に関わる事象」として捉える際の視点として,「位置や分布」,「場所」,「人間と自然環境との相互依存関係」,「空間的相互依存作用」,「地域」をあげている。ここではこれらの視点と照らし合わせながら,新型コロナウイルスに関連して話題になったことを見てみよう。

 

 そもそも新型コロナウイルスの感染拡大は,SARS(重症急性呼吸器症候群)やMARS(中東呼吸器症候群),鳥インフルエンザなどと同様に,人やモノの移動が活発化したグローバル化の負の産物だといえる。グローバル化によって,人類にとって都合のよいものも悪いものも瞬く間に世界中に広がってしまう。改めて人やモノの結びつきがいかに浸透していたのか,世界各地がいかに密接に結びついていたのかを実感する。感染拡大を抑制するためには,人の往来を規制することが重要で,副次的に物流もかなり制約を受ける。その結果,さまざまな弊害が各地で顕在化し,例えば1つの工業製品が,どこで生産され,どこで売られているか,また,生産にあたり,どこから部品を調達しているか,労働力をどこから集めているか,そしてなぜそのようになっているのかを再認識させられることになる。まさに,世界の経済や生活が「空間的相互依存作用」のもとに成り立っていることを知るのである。

 

 グローバルなスケールのみならず,ナショナルやローカルなレベルでも人流が規制されることによって,生産・流通・消費の空間的な特徴が浮き彫りになった。企業の管理・事務関係の業務ではテレワークが導入され,都心のオフィス街への通勤を減らそうという努力がなされている。逆から見れば,都心のオフィス街には郊外から多くの人たちが通勤しているということである。大都市圏であれば,1つの都府県の中で都市の活動が収まっているわけではなく,県境を越えた人の動きが経済活動を支えていることがわかる。時短営業や休業要請は小売業や飲食業などに直接的な影響を及ぼすが,人の流れが抑制されるだけでもマーケットは縮小し,与えるダメージは大きい。一方で,ネットショッピングやデリバリーサービスは需要が急増し,新しい就業形態を普及させている。都市圏や生活圏のレベルでの「空間的相互依存作用」が浮き彫りになり,コロナ禍という現象に適応し,空間的相互依存作用を再編しようという努力を目にするようになっている。

 

 また,飲食業がダメージを受けることで,例えば,飲食店での酒類の消費が激減し,飲食店はいうまでもなく酒類を納品する卸売業者,地方にある酒造業者の経営を圧迫する。首都圏の感染状況が深刻化したことで,遠く離れた地方の酒造会社の経営が苦境に陥ってしまうのである。また,これらの酒造業者の生産量が減ることで,酒米の生産を請け負っている農家の経営にも影響が及んでしまう。例えば筆者が暮らしている東広島市では,酒造会社が酒米を食用として販売し,委託先の生産農家を支えようとする試みもなされている。このような産業間の連関や地域間の関係は,酒類に限ったことではなく,飲食店が提供する食材の流通・生産でも同様に見られる。通常であれば,そのような地域的な結びつきを気にすることなく,飲食店で食事をし,歓談しているわけであるが,コロナ禍の御時世においては,マスコミが時短営業や休業の悪影響を日々報道することにもよって,否が応でも意識することになる。

 

 以上のようにグローバル,ナショナル,ローカルな空間スケールというように,スケールを変えて空間を捉えようとすることも「地理的な見方・考え方」の特徴の1つである。どこに飲食店があり,卸売業者がどこにいて,酒造会社はどこにあり,そこが取引している生産農家はどこにあるのかなどは,「位置や分布」の問題であり,それがどのように結びついているのか,その結びつき方のメリットやデメリットは何かを評価することも,「地理的な見方・考え方」が必要になる場面であろう。

 

 コロナ禍において,インターネットの活用が進んだ。これまでも相当に普及していたが,感染拡大防止を求められる中で,小・中学校や高校,大学などのオンライン授業,各種会議のオンライン化,オンライン会食など,これまでもやればできたことが半ば強制的に進められることになった。また,ネットショッピングやデリバリーサービスなども急成長している。ウーバーイーツの利用も,コロナ以前から成長が指摘されてはいたが,コロナでさらに拡大した。そこでは飲食店がどこにあって,注文する客がどこにいて,商品を配達する配達員がどこにいるかが,サービスを実行する上での肝であり,GISが駆使されている。なぜそれが大都市にしかないのかも含めて,「位置や分布」を考える具体的な素材になる。そしてこれは「地図や地理情報システムで捉える現代社会」の具体的な現れの1つといえる。

 

 加えて,オンライン〇〇という社会活動の普及は,情報化の進展により空間の制約を超越できるという議論,社会学者アンソニー・ギデンズのいう「時間と空間の分離」や「脱埋め込み」(人々の相互行為のローカルな場所・空間からの引き剥がし)の議論を呼び起こす。これは突き詰めれば地理学の根幹に関わる問題にもつながる。空間の制約を越えようとする動きが見られる一方で,出てくるなといわれても都心に人が集まり,「密」だと批判される。飲食店が早じまいすれば,路上飲みに興じる者たちが現れる。人々は何らかの「場所」に集まりたがる。都市の中には,緯度・経度や標高という座標だけでは捉えられない意味のある場所がある。このような「場所」があるのは何も都市の中には限られない。それぞれの人や社会が意味を付与した場所は,例えば,信じられない数の感染者が日々発生しているインドで,沐浴するために川に多くの人々が集まる映像を見た時に感じるように,他の人や社会には理解されにくい場合もあるが,そのような場所の存在は,バーチャルな空間が広がっていったとしても根強く残るように思える。

 

 話を戻すが,緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の適用にあたり,対象区域の線引きが行われる。その線引きの問題点もしばしばマスコミ等により指摘されてきた。まずそれぞれの制度の違いの1つに対象区域が緊急事態宣言では都道府県,まん延防止等重点措置では市町村となることがあげられる。どのように対象地区を設定するのかは対策の基本に関わってくる。まん延防止等重点措置の適用に際して,東京都内のある駅の北側は対象にならず,南側は対象になるといった例があった。ニュース等ではそのおかしさを指摘していたが,実質地域では線引きできないので,形式地域で施策を実施せざるをえない。当然,境界部分ではこのようなことが生じる。首都圏で県境を越えた移動を控えるよう,強いお願いが重ねられた。しかし,首都圏は1つの都市圏として機能しており,県境を云々することにあまり意味がない。むしろ自治体ごとに対応が違うことが混乱を招くこともある。施策の対象地区の線引きをめぐるあれこれは,実質地域と形式地域を説明する格好の資料になるとともに,「地域」を把握することの難しさを顕在化させる。

 

 いうまでもなく新型コロナウイルスの感染拡大は世界全体で進行している。外出自粛していても世界各地の感染拡大状況や対応状況の報道を目にすることになる。それらを目にすると,1つの(変異種はいろいろ生まれているが)ウイルスの感染拡大なのに,その広がり方や対処の仕方には,地域による違いが大きいことに驚かされる。「地域」によって社会的事象の現れ方は多様である。これを理解することも地理教育において求められる,「地理的な見方・考え方」の重要な柱である。

 

 多くの人が疑問に思うであろうことに,海外でのロックダウンと日本でのお願いの問題があろう。海外の例では,感染拡大防止のために都市のロックダウンを行う例がしばしば報じられた。欧米でも中国でもそれは行われた。しかし日本では,時短要請や休業要請のように,要請やお願いでしか対応していない。なぜなのだろうか。また,感染者が著しく増えているアメリカ合衆国で,マスクをせずパーティーに参加したり,デモに参加したりする密集した人々の映像にも,違和感を覚えた日本人は多かったのではないだろうか。1つのベッドを2人で使い,酸素ボンベが足らず,自動車工場の操業を止めて工業用酸素を医療用に用いるほどになっているインドで,聖地巡礼や沐浴などのために多くの人々が集まってくるのはなぜなのだろうか。このような国ごと,地域ごとの違いは,各地の生活文化や人々の思想信条,経済水準,社会格差,行政制度,法制度,医療福祉体制など,さまざまな要因が結びついた結果,生まれてきたものと考えられる。地域の多様性を理解し,それへの配慮ができるようになることも,地理を学ぶことの1つの意義である。